あすなろ文集

「股関節の人工関節置換術の決心へ」

沢目 恭子さん

私は看護師を目指していた20才頃集中実習を受けていたとき、突然左の股関節が痛みだし、痛みに効くセデス錠を飲んで過ごしました。その後、看護師の資格 をとり、結婚、出産に耐えられるのか心配しましたが、何とかそれもクリアーできました。50才過ぎた頃より痛みを感じる回数が多くなり、Ⅹ線写真を撮って もらったらもう末期状態と言われておりました。しかし、人工の物を入れると持って20年位だと聞き、この後の人生を計算してみました。女性の平均寿命84 才と考えてみるとまだ決心がつかず、市販薬や痛みを軽くする安定剤を飲んで過ごしておりました。

しかし58才頃よりびっこを引く状態がだんだんひどくなり、回りから足どうしたの、痛そうだね、と声がかかるようになり、もう限界かな?と考え、友人の紹介で、あすなろ整形外科を受診し同じ診断結果と手術件数を拝見し、ここで手術をしていただこうと決心いたしました。

さっそく職場に報告し1ヶ月の休暇を申し込み、残務整理をし、同僚に申し送り、7月15日入院しました。

入院してからは、クリニカルパスにのっとり、7月21日の手術を迎え、術後3日間は麻酔のしびれで痛みは無いのであるが違和感が強く、また、発熱で辛い日 がありました。しかし、4日過ぎて、車椅子に乗れるようになると、身体も楽になり、本当に戴いた計画書はしっかりとしたクリニカルパス表と、感心いたしま した。

その後院内の行事での楽しい喫茶室や夏祭りの花火大会に、参加し全職員のチームワークで楽しいひと時を過ごすこともできました。 厨房での美味しい食事、ほせいさん、看護助手さん、事務の方、外来の看護師さん、Ⅹ線技師さん、リハビリ師さん、手術室勤務の看護師さん、そして入院病棟 の看護師さん、皆さんが徹底された教育を受けられた皆様を見せて戴きました。これも院長先生はじめ師長さんの教育が徹底された、たまものだと思っておりま す。

1ヶ月目で無事退院させて頂けるようになり夢のようです。
これからも、関節を大事にいたわり、注意事項を守り、これからの人生をくいの無いように過ごしていきます。

本当に皆様に感謝申し上げます。
院長先生お身体には十分気を付けてお仕事お願いいたします。

「無題」

山本 勇三さん

昭和25年2月シベリヤより復員間もなくカリエスを患い身障3級の勲章を頂き、昨年は、「心臓 ペースメーカ」を入れる等疾患ハンデーを伴いながら今回の入院は、長谷川先生初め看護の皆様に余分なお世話をおかけしました。

手術も無事終わり リハビリに入りましてからは、いつも暖かく細かいお気使いを戴き有難く心よりお礼申しあげます。
退院後の生活指導もこまごまと頂きました。

短かな期間でしたが思い出多い日々でした。一層のご活躍をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
食事も美味しく頂きました。よろしくお伝え下さい。

「私と長谷川先生との出会い」

中川 美枝さん

平成1年7月苫小牧市立病院で股関節の手術をしようと思い受診すると北大から1年間股関節の上手な先生が来ているとの事。
“明日来る日なので診て貰うと良い”と言われさっそく受診しました。
思っ たより若い先生でびっくりしました。年配の先生かと思ったので。私は46才の時だったのでもう少し年取ってからと思いましたが 左の股関節も少し痛くなっ てきており両足手術するのは嫌で早い方が良いと思いお願いしました。苫小牧の病院でも股関節が悪い人は沢山いてベッドのあきまちでした。

8月に病院から電話がありお盆にかけて入院そして手術しました。おかげで術後は順調で52日で退院できました。市立病院の先生に3ヶ月入院と言われ長すぎると思いましたが退院する時痛みはなく杖は使わず、こんなに楽になるならもっと早く手術したら良かったと思いました。

右股手術してからは左股の痛みが治り良かったです。きっと右足の負担がかかっていたと思います。退院時プールに行って運動するのも良いと言われ家の近くに温水プールができたのでプールの中を歩いている内に泳げるようになりました。

平成15年8月

左股関節が痛くなり病院を恵庭にしようかと思いながら1回目に手術した苫小牧市立病院に電話すると長谷川先生が大谷地で開院したとの事。お父さんに話し長 谷川先生の所に行くように言われましたが、“15年も経っているので私の事忘れているのでは、、、”“主人に忘れていないよ!”と言われ病院へ。

長谷川先生は忘れていませんでした。うれしいやら感激で胸が一杯になりすぐ手術をお願いしました。お父さんに言うと“そうだろう”と子供や嫁さんは“腕のいい先生は違うね”と言っていました。

4人部屋で皆良い人達ですぐ友達になり退院してから6ヶ月の検診後には定山渓温泉に1泊して遊んで帰りました。今年はどこの温泉にしょうかと話しています。

3度目の手術は11月15日。
平成元年に手術した股関節の入れ換えです。 最初は10年位したらと思いましたが20年近くもちました。入院すると入れ換えの人が何人かいました。今度は2ヶ月半の入院との事。少し長いです。おかげさまで3回の手術共痛さと筋肉痛があまり無いので助かりました。

長谷川先生に会ってから本当に良い先生と看護師さんやスタッフの方々に出会えて良かったです。

今年も又女友達と海外や本州旅行に行くのを楽しみにしています。パークゴルフもして、これも先生のおかげです。お友達や周りの人は“中川さんは どこが身体障害者なの?”とよく言われます。
長谷川先生に出会えたおかげです。
本当に有難うございます。

3度も同じ股関節の手術でしたが、長谷川先生を信頼しているので手術の時間は何も心配する事無く安心していました。

「手術をした理由」

日和 大競さん

「痛い」、と思ったある日、僕は柔道をしていた。「膝が痛い」と感じていた。 僕は小樽の整形外科に行き、レントゲンを撮った結果、異常なし、と言われた。後日僕は再び柔道を再開した。

そんなある日の事、股関節が痛くなった。すぐに病院へ行ってレントゲンを撮った。先生に「股関節の骨がずれている」と言われその結果「股関節の痛み から膝に負担がかかっている」と言われた。小樽病院で北大の先生に診察してもらった。「手術をした方が良いよ」と言われ、そこで僕はすぐに手術を決意し た。なぜか・・と言うと手術をしないと、もう柔道ができない・・・そう考えると「意地でも治す」とゆう気持ちが出てきました。だから僕は「手術をする」と 決めた。「あすなろ整形外科」を紹介してもらいました。

数日後、僕は「あすなろ整形外科」へ来た。受付をして診察室へ入り長谷川先生に、入院日と手術日を教えていただいた。看護婦さんに、入院の事について色々説明を受けた。

         だんだん入院生活にもなれて、1週間がたった。「明日は手術だ」・・その日緊張感と不安でいっぱいでした。翌朝ご飯を食べることはできません。窓を開ければご飯のにおいで腹がへってきて大変でした。

いよいよ手術の時間、手術までの時間が長かった。そして、ベッドで運ばれた。その時にはもう成功を祈るしかなかった。手術室へ入って麻酔をかけられて、気がついたら部屋の中でした。ギブスがついていて、あつかった。しかもギブスは足先までついていました。

手術して4週間後、まず、膝から下のギブスがとれて、膝が曲がるようになりました。そしてさらに2週間後、ついにギブスが全てとれました。

テンションが上がっていくうちに、夏祭りのイベントがありました。駐車場にはテーブルが何台も用意されていて、皆で、そば、焼き鳥、おでん、とうき び、スイカ・・などを食べました。長谷川先生からジュースのプレゼントもありました。その後は花火をしました。皆で見た花火はとてもきれいでした。

今ではしっかりとふらつかず歩いています。手術をして本当に良かったです。

「これから、手術をされる方、頑張ってください。」

「手術を受けて今喜びでいっぱい」

井村 隆子さん

亜脱性股関節症の置換手術を3月29日に受け、退院後の2週間検診を5月10日に受診して参りました。退院後の経過はどうなのか心のどこかで緊張していま したが、当日、レントゲンを撮って頂いた結果、長谷川先生から「異常はなく、自骨、人工骨ともに馴染んできているので、屋外の散歩も大いにしてください。 傷の痛み、感覚の鈍さ、筋肉痛は時間と共に改善されるので心配はいりません」とのお話を頂きました。私も今は、一日一日と良くなってきている実感がありま すので、手術を受けて本当に良かったと思っております。

私が変形性股関節症の診断を初めて受けたのは、平成16年6月、近くの整形外科病院でした。転倒したのがきっかけでした。当時は痛みがひどかったのです が、手術は必要なく、痛み止めの薬と湿布での治療、そして足に筋肉を付けることが一番との事でしたので、リハビリ体操、プールでのウオーキングをしなが ら、痛みが強くなると整体に通い、できれば手術は避けたいと考えておりました。

状況は一進一退でした。

去年の暮れに又転倒してしまい、年が明けて日毎に痛みは増してきて、歩く事も辛くなり、足の引きずり方もひどくなりました。病院に行かなくては!どこの病 院がいいのだろうか!考えていた丁度その頃、知り合いの方から“あすなろ整形外科に行ってみては、院長先生は股関節の専門医で技術も素晴らしい”と教えて 頂きました。

早速2日後の2月14日に「あすなろ整形外科」を受診しました。長谷川先生は私のレントゲン写真を見て“末期の状態です このままだと数年後には歩 けなくなることも・・”手元のスケジュール表を見て“最も近い日程で3月23日入院、29日に手術でどうですか?”同席している主人に私が目を向けると同 時ぐらいに“手術お願いします”と主人から即断の声が出ていました。

長谷川先生は手術の方法、入院期間。退院後は痛みもなくなり買い物など普通の生活が出来る事を自身に満ちた表情で丁寧に説明してくれましたので、私も長谷川先生を信じて手術を受けて絶対良くなりたい!と病院を後にしました。

入院、手術まで一ヶ月半。その間二回の自己血の採血。輸血の際に自分の血液が使用される安心感と共に、病院の配慮、慎重さが伝わってきて嬉しく感じまし た。入院と同時に、手術後に備えての車椅子でのトイレの使い方、エレベーターの乗り降り、リハビリ体操の仕方を教わり、いよいよ手術日を迎えました。

手術は麻酔で眠っている間に終わり、目が覚めた時は回復室でした。ベッドの横に立って私を笑顔で迎えてくれた主人、忘れられません。

手術後の三日間は吐き気も伴って辛かったです。でも婦長さん始め看護婦の皆さん、スタッフの方々が親身になって、支えてくださいましたので乗り切ることができました。

こちらの病院は患者一人一人に担当の看護婦さんが決まっております。担当の看護婦さんがおられない時など担当外の全ての看護婦さんも、状態を良く把 握してくれておりましたので、安心感がありました。看護婦さん間のコミュニケーションがしっかりなされている事が素晴らしいと思いました。

私は手術後二週間、車椅子で過ごしましたが、足を床に着ける許可が出て両足で立てた瞬間、涙が出る程感激でした。以後松葉杖から杖へと補助具が変わり、 日々良くなる自分の姿を鏡で見たとき、“手術を受けて良かった。ありがとうございました”と心の中で叫びました。リハビリはメニューに沿って行われ、病室 に戻ると再度看護婦さんの指導とチェックを受けます。補助具無しでの歩行も、階段の上がり下りもコツを教わり何度も練習をしました。

股関節の手術を受けた方が多く入院されていて、先に手術を受けた方々から日々良くなっていく話を聞き、これからの自分の姿が重なって、不安も安心へと明る い気持ちになりました。看護婦さんが私の身になって、笑顔で真顔で支えてくれましたし、時には叱咤激励を、又適格なアドバイスを、家族の話、やすらぎの言 葉をと、いつも励まし続けてくれました。 本当に感謝しております。

  入院中の食事も楽しみの一つでした。味加減が良く、私好みでいつも美味しく残すことなくいただきました。月に一度のお楽しみメニューも楽しみで、4月は「お花見弁当」でした。とっても豪華で、次の日退院する私には、思い出の食事となりました。

身体に直結していた管が外れると、一日おきにシャワーを浴びる事ができて、携帯電話も病室で使用できますし、テレビは夜11時迄観られて、入院生活の一日一日が早く感じられました。私は、37日間の入院で希望と勇気をもらいました。

これからは、痛みも無く、自由に何処へでも行かれる幸せを感じながら、新しく生まれ変わった足を大切にしたいと思います。

日常生活の中で「してはいけない姿勢」に注意しながら、明日は今日よりも、もっとしたい事ができる私になれるように、リハビリも含めて頑張ろうと思っています。

病院名になっている「あすなろ」の樹のように。