あすなろ文集

「あすなろを選んだ私」

I・Hさん

「あすなろ」――――なんと希望に満ちた響きのあるやさしい言葉でしょう。

自分の病気について無知な私でしたが、「のぞみ会」という変形性股関節症友の会に加入して、少しずつ変股症の知識が増えてきました。子育てが終わる五十代に入る頃から、毎日の生活が痛みで辛くなってきましたので手術を考えるようになりました。

のぞみ会の北海道支部をつくってほしい一心で会の運営のお手伝いを二年ほど続けてゆくうちに、手術は今年しかないと決心し、五月の始め、夫と共にあすな ろ整形外科を受診し、手術を受ける事になりました。この病院を選んだのは、股関節手術の専門病院としての実績をのぞみ会で知ったのが第一の理由で、夫にも 強く勧められたからです。

入院日は平成十四年の六月二十八日、左側の手術日は、同年七月四日、その日は主人の五十五歳の誕生日でもあったので一生忘れることはありません。右足は 約六週後の八月十三日のお盆前に決まりました。長谷川先生から、手術を左右続けてするのはリハビリが少々辛いとの説明を受けましたが、夫はあっさりと先生 に「一気にやってしまってください」とお願いしたのです。私も周囲の色々な事情などを考えると両足続けて手術した方が良いかもと一大決心をしました。入院 の二週間前に自己血を400cc採血する日程を伺い、帰宅しました。帰ってから少し不安になりましたが、くよくよ考えても仕方がないと手術の成功を祈りつ つ入院の準備をしてその日が来るのを待ちました。六月二十八日いよいよ入院の日、長女に主人の食事の世話と家事のことなどを依頼した後、三ヶ月にわたる長 い入院生活を控えて少し興奮気味でした。病院につくと、担当の看護婦さんから院内を見せていただき、温かく迎えられ、四人部屋に入院し、その一週間後、左 側の手術を受けました。幸いに無事手術は成功し、回復室で目覚めたとき、夫と実母を見るや涙があふれました。あともう一回右足の手術に絶えなくては、とそ のとき冷静に思いました。回復室から病室に移り、一週間点滴をし、八日目に抜糸をし、シャワーを浴びることが出来ました。次の日からリハビリは少しずつ始 まりました。自分で初めて乗る車椅子を押すのにかなりの力がいり、腕と肩が痛くて夜中に目がさめるほど辛く感じましたが、右側の手術を迎える頃には、左足 の痛みも消えてるのではと期待に胸を膨らませながら、八月十三日に二度目、右側の手術を受けました。お盆間近でしたので、院内は一時帰宅の患者さんもお り、少し寂しいくらいでしたが、あすなろ病院の院長先生をはじめ病院のスタッフの方々が病院前の駐車場で「夏祭り」夜に催してくださり、心が和みました。 そのとき移していただいた写真を眺めながら、ベッドの上で一日も早く歩けるようになる日を願いながらリハビリに励みました。毎朝院長先生の明るいあいさつ で始まる回診に励まされながら、車椅子から松葉杖へと一週ずつ元気に回復していき、四週目を過ぎた日のレントゲンを撮る頃には松葉杖もはずし、杖も必要な いくらいにまで回復していきました。二度目のときは日がたつのがとても早く感じられました。院内を、痛みなくスタスタと歩き、病院の周りも外出できるよう になり、日常生活を送る上での注意点の指導を受け、家への外泊も体験し、予定より三日早く退院する許可が出ました。外はすっかり秋に入りかけた九月二十五 日のことです。

あすなろ整形外科の長谷川先生はじめ、すべてのスタッフの方々の手厚い看護には心から深く感謝しております。約三ヶ月の入院生活は少し長かったのです が、私にとっては人生観が変わるほどのよい体験をさせていただけたと痛感しております。婦長さんをはじめ看護婦さんの方々、リハビリの先生方にも本当に親 切にご指導いただきました。一生このご恩は忘れません。しばらくは定期検診に通いますので、私の元気に歩く姿をみていただきたいと思います。

夫がいつも言っている言葉ですが、「医者選びも寿命のうち、医者の技術、ウデはその医者の研修歴、実績によって大きな差がある。」というのは本当だと思います。その点であすなろの院長先生は絶対に信頼のおけるお医者であると確信しております。

最後に入院中にお会いした患者さんたちと親しく過ごせたのは私の心に大きな財産となりました。また、のぞみ会の友人や私の友達がお見舞いに来てくださっ たことや、何よりも私の大事な家族に心から感謝したいと思います。東京の大学に通う次女も二度見舞ってくれました。

二度の手術の時に、夫が短歌を詠んでくれました。
「手術済み 妻を迎えし吾娘と義母 目を潤ませて声かけ寄りぬ」
「胸騒ぐ 妻の手術を無事終えて 鬼手仏心の医者後光射す」

私も愚作ながら詠みました。
「念願の 足の手術を夏に終え 手厚き看護勇気みなぎる」
「盆の入り 帰宅の友を見送りて 我は手術に手を合わすなり」

今回、私の手術をしてくださった長谷川先生とすべてのスタッフの皆様に心から深く感謝しつつ、これからの更なるご活躍を心よりお祈り申し上げ、今後、健康を大事に考えて一日一日を大切に生きてゆきたいと考えています。

「5年を経過して」

K・Tさん

私は手術後ちょうど満5年を迎えました。今日比頃の生活を考えますと、手術前のあの生活は嘘のように思われます。日々、足の痛みに耐え、夜は 足のだるさや痛みでぐっすりと眠ることもできず、したい事の半分も行えずに数年を過ごしました。幸い、人づてにあすなろ整形外科を知る機会に恵まれ、この 痛みから解放されるならと医師に勧められるまま股関節の人工関節置換術を受けました。清潔な環境と親切な看護で、術後の経過も良く、半年後には一人で旅行 もできるまでになり、本当に心からうれしく、ありがたく思いました。私は、本来両足とも亜脱性変股症で病状の悪い片方だけを手術いたしました。もう一方の 足も早めに手術するようにと医師からは勧められておりましたので、一抹の不安はありましたが、片方に力がついてきますと、本来悪い足の痛みがあまり増すこ ともなく、現在に至っております。年に何度か杖が必要になるほどの痛みが3,4日続くことがあり、そんな時には、かつて私は何度もこの痛みに悩まされ暗い 気持ちで生活していたのか、また、よくこの辛さに耐えていたものだと、驚くと共に感慨深いものがあります。この病いについての知識もなく、手術についても すべてお医者さんにおまかせして即断いたしましたが、本当に良い選択であったと思っております。民間療法的なものもいくつか試してみましたが、どれも一時 しのぎに終わりました。人工関節が何年もつものか不安はありますが、痛みに悩まされず、ほぼ普通に暮らせるこの喜びは、何物にも変え難い幸せです。

以前にはステップが上がられず乗れなかったバスに乗って、プールで股関節のためのアクアティックに週1回通ってリハビリの一助としております。これから は人工関節の足と病状が進行中の片足とを無理のないように使って、痛みがない事に感謝しつつ、毎日を明るく有意義に生活し、失った日々を少しでも取り戻せ たらと思っております。

「無題」

S・Aさん

33歳の冬でした。一歩移動するたび、激痛が股関節の一点に集中。トイレに行くのも壁つたいという状況で、あすなろ整形外科を受診しました。 「すぐ手術しましょう。この日が空いています。」手帳をめくりながら、長谷川先生。手術!? 入院!?・・・5歳と3歳の娘の顔が頭に浮かび、その日に答 えは出せませんでした。主人の両親、私の母を含め家族会議。まだ手のかかる孫たちのことは安心してまかせなさい、と本当にありがたい言葉を頂き、入院とな りました。

入院当日、下の子は泣きじゃくり、上の子は「ママ、早く足治してね。」と力強い言葉をくれました。でも、無理して強がってくれていたのです。帰りの車に乗ったとたん、大粒の涙をこぼしながら手を振っていました。ごめんなさいね、ごめんね。

入院したからには、前向きに治すこと、歩けるようにと決心しました。今まで痛くて安静にしていたため、筋肉がかなり落ちていました。リハビリの先生に指 導を受けて、運動のしかたを習得。手術当日、予備麻酔で効いたのか、手術台に上る途中で記憶がなくなったので、恐怖心はありませんでした。無事、手術は成 功。私がなぜあすなろ整形外科に来たかというと、人伝てに「長谷川先生は股関節専門、道内で3本の指に入るわよ!」と聞いて受診したのでした。あすなろに 来る前、他の病院も受診しましたが、湿布薬と痛み止めだけで骨には異常なしと言われていました。長谷川先生はレントゲン写真を見ながら、かなり詳しく説明 してくれましたし、こちらの質問にも誠実に返答をくださいました。(医者という冠をつけずに・・・)それで、私は長谷川先生を信頼したのです。

術後は、熱が上がったり、痛みで眠れない日が1週間続きました。今思い返してみれば、辛いと感じたのはその1週間だけでした。4週間の車椅子期間に、入 学式、入園式にも出席できました。週末毎に外泊も許可してくださり、子供たちも安心できたと思います。同室の方とも、不安を話し合ったり、馬鹿な冗談を言 い合って、楽しく過ごしました。術後、リハビリに下階におりるのが、楽しみでもありました。週ごとに手術した足に体重をかけていくのです。手術した足は、 松葉杖をしながら「はい、体重の3分の1だけ力を入れていいからね」結構難しいのです、これが・・・。それをクリアするのが楽しみでもありました。

この文章を書いている今、手術後2年が経過しています。今は普通に家事ができます。歩けるという普通の行為自体にありがたみを感じています。子供たちは 母の不在を経験したせいか、頼もしい存在になりました。まだ、片側の手術も残っています。次回にむけ、筋トレに励んでいます。今回は多くの人に支えられま した。主人、子供たち、両両親、見舞ってくださった方々、そして幾度も愚痴を聞いてくれた看護師の方々、リハビリの先生、そして長谷川先生、心から感謝し ています。ありがとうございました。

現在、痛みを抱えている方へ、手術に対する不安はあると思いますが、痛みのない世界があるのを知ってほしいと思い、これを書きました。

「無題」

K・Mさん

私が初めて「あすなろ整形外科」を訪れたのは、足の異常を感じてから3~4ヶ月経ったころでした。極寒のころ、長時間無理な体勢での重労働が 祟ったのか「足筋をひねらせたのかな?」と軽く考えていたのがいたのですが、時間が経っても良くなるどころか痛みは増す一方で、そのうちに夜も痛みで起こ されるようになりました。勿論マッサージ等にも何度も行きましたが効果はなく、今までの足の痛みとは少し違うのではないかと思いはじめました。周りの人た ちに変な歩き方をしていると言われる程、不自然な歩き方をするようになりました。

そんな時、友人の一人が自分のお姉さんの歩き方に似ているという話をしてくれました。そしてあすなろ整形外科でリハビリの仕方を習って毎日やっていると いうことでした。私も痛みを取る為の運動だけ習いに行こうと軽い気持ちで診察を受けました。しかし私のレントゲンを見るなり先生が「あっ」と小さく言わ れ、手術をしないでこのままだと十年以内に普通に歩けなくなると診断されました。リハビリでなんとか治したいと私は思ったのですが、私の場合すでに進行期 に入っているので手術しかないと断言されました。子供たちの重い学費が後何年で終わりそうで、その後はあれこれと楽しい計画を考えていた矢先でしたのでそ の全てをあきらめなければならなくなると思い、次の瞬間「手術お願いします」と口から出ていました。

先生は手術の方法や入院期間、また退院後は普通の生活ができることを丁寧に教えて下さいました。手術までの期間1月半は大変な忙しさで、そのうちやろう とのんびりしていたことを片っ端からやり、普段手を抜いていた所の掃除をあちこちし、私が入院中子供に託すことをメモ書きし、予定していたことをキャンセ ルしました。また入院3週間前から毎週1度血液を採りにいく予定もクリアせねばならず、あわただしく充実した毎日でした。輸血用の血液を「自血」でという のは近年輸血による事故が話題となっていたため先生の手術に対する姿勢が理解でき嬉しく思いました。

毎日が忙しいということもありましたし、また専門家に診てもらったという安心感もあって足の痛みが和らぎ手術しなくてもいいかなとも思いましたが、後々の事を考えて手術までの日をなるべく安らかに待つことにしました。

入院してみると同じ症状で治療している人が8割で初めて先生が股関節の専門医であることを知り、紹介してくれた友人にあらためて感謝しました。手術前に 車椅子や松葉杖、リハビリの練習も効果がありました。また同室の皆が同じ手術を受けた経験者ですので、数日・何週間後の自分の状況が目に見え、先輩たちの アドバイスで不安も少しずつ薄らぎました。手術当日はベッドで半分麻酔がかかった私をエレベーターまで仲間が皆励ましてくれました。心細かった私にとって これは温かく心に残る一シーンでした。

手術後自分の意志でいつも動いていた足が思うように動かず鉛が入っているように重く、感じました。足一本のために寝返りもままならず、体全体がベッドに 沈み込んでいるような錯覚に襲われて術後一週間は夜もゆっくり寝られず何度も看護婦さんを呼んで寝返りをうたせてもらいました。「すみませんね」と私が言 うと、看護婦さんはいつもにこにこしながら「なんでもないよ」と言ってくれ、その言葉が嬉しかったのを覚えています。

一日三回の看護婦さんの診回りは、患者の症状の申し送りが行き届いている感じでとても安心感がありました。また先生の回診もレントゲンなどを使って経過 を説明してくれますので自分の今の状態が隠さず示され先生との信頼関係も保たれていました。患者さん同士も同じ症状なため連帯感も強く、すぐに仲良くなり リハビリのための散歩もかばい合いながら皆で楽しくできました。私が入院中に夏祭りや開院記念日があり入院生活を少しでも楽しくしてくれるスタッフの心遣 いに感謝しました。また食べる事が唯一の楽しみである入院生活で月に一度あるご馳走の日は大変な楽しみで、病院とは思えない豪華な手の込んだお料理に舌鼓 を打ったものでした。退院の頃には皆元気に歩くことができますし、いつも病棟はワイワイガヤガヤとにぎやかで明るく、リハビリもお互い励まし合いながら頑 張れました。入院中病室の窓から健康そうな人々をうらやましく見つめていた自分を時々思い出し、自由に何処でも行かれる今の自分の幸せをつくづく感じ、こ の健康を大切にしたいと思います。この入院・手術を終えて人生観が変わったことをつくづく感じます。

一年が過ぎ日頃の忙しさについリハビリを忘れることもしばしばです。あらためてリハビリに励み、これからは小さいことにくよくよせずに積極的に生きていきたいと思います。また、この入院で家族の愛情あふれる看病をつくづくありがたく思いました。

「花火大会」

宮崎 喜美栄さん

ドーンとなった花火だ、きれいだな、空いっぱーいにひろがった・・・・・?空いっぱーいとまではいかなかったのですが、まさか病院で花火大会があるなどということは誰にも想像できませんでした。

8月8日午後6時30分より病院前広場にて花火大会があるということで、私たち患者はとても楽しみにしておりました。しかしその日は朝から雨、風強くそして暗く、とても花火のできるような天候ではありませんでした。

「もし今日が駄目なら明日に延びるのだろうか」などと患者同士で話をしていましたが、病院の花火大会ってどんなのだろうと女性軍は賑やかに話し合ってい ました。私は何回も他の病院に入院しましたが病院での花火大会ははじめてなのでドーンと打ちあがって美しく散る華麗な花火を目の前で見られるのでとても楽 しみにしていました。しかし、午後も雨が降り続いているので雨を恨めしく思いました。

ところが、4時頃より雨は小降りになり止んできました。5時頃からは病室の窓から見える道路はだんだんと乾いてきました。ここ大谷地は風が強いので乾き も早いのだろうかなどと思って外を見ていましたが「これなら大丈夫、決行できるかも?」と思う天候になってきました。花火大会が始まる頃には、すっかりメ インの広場は乾き、花火の出来る雰囲気になってきました。予定通りに花火大会が催され、夜の病院の前の広場には多くのテーブルや椅子が並べられ、患者全員 が落ち着けるようにセットされていました。

車椅子の人達は乗ったままの状態でテーブルにつき、私も歩けるようになった中の一人でしたので婦長さんに誘導されて着席しました。テーブルには沢山のご 馳走が並べられ、焼き鳥、おでん、枝豆、おそば、お餅、焼肉、スイカ、飲み物etc. 院長先生からは全患者にプレゼントとして各自、好きな飲み物を下さ り、看護師さんから一人一人に手渡されました。

院長先生は浴衣をお召しになり、カメラを首からぶら下げ、パチリパチリ撮っておられました。ナースの方々は私服姿の華やかなお嬢さんに変身してお疲れの 様子もなく、ニコニコしながらやさしく食べ物を患者に勧めたり運んだり、一生懸命温かくサービスをしてくださいました。私は楽しくてうれしいのも手伝って か、食欲旺盛で沢山頂きました。何を頂いてもおいしかったです。リハビリの先生方は一生懸命に中、小の花火を打ち上げて、俄か花火師さんになったようでし た。ドーン、ドーンの音とともに弱っている気持ちが遠くへ去って行くように思えて、花火が夜空に吸い込まれ、消え入るまで私たちは拍手を送っていました。 もう一方のリハビリの先生は線香花火に火をつけて、私たち患者に持たせてくださり、目の前のパチパチの小さな火花の散るのを見ながら、幼少のころを懐かし く思い出していました。病院でこんなに楽しい一夜を過ごしたことは初めてなので、一生忘れないでしょう。この夜、就寝してからふと目を覚ますとまた音を立 てて、ひどく雨が降っているのです。そして翌日8月9日は一日中雨が降っていました。病院では何日前から花火大会を計画していたかは私たちにはわかりませ んが、ピタリ標準が合った感じです。花火大会のためにあの時間帯だけ、雨が上がってくれたような気がしました。私にはどうしても奇跡が起きたとしか思えま せんでした。一時的にも一般社会、家庭から切り離された病院生活の中でこんなに大胆な楽しい一日があるなんて想像もしていませんでしたので、とてもとても 忘れることの出来ない夜でした。

「真夏の夜の夢」ではなく、楽しい現実の一夜でした。長谷川先生を始め、スタッフの皆様に心より感謝いたします。

「本当に有難うございました」 平成15年11月15日