あすなろ文集

「これから入院(手術)される方へ」

上野 聖行さん(45歳 男性)

私は変形性股関節症に依り、寛骨臼回転骨切り術を受けるため、入院することになりました。
最初に申し上げておきますが、このような大手術も、3ヶ月という長期に亘る入院生活も初めての体験です。それだけに家のこと、仕事のこと、手術のことを 考えると不安でなりませんでした。そんな心の葛藤を、後に続く貴方を勇気付けられればと思い、文集に残します。

私が一番悩んだのは、やはり手術のことです。先生の診察を受け、一通り説明を受けたのですが、半信半疑で、仮に手術が成功したとしても職場復帰が果たせるのかなってね。
最初に説明を聞いたときは、何ソレ!骨を切る!回転させる?元あった個所の骨は?足の長さは?って感じで、頭の中はパニック状態でした。しかし、日増し に痛みの間隔が短くなってきて、日常生活に支障をきたすようになってくると「手術」の二文字が脳裏をかすめてくる。実際、「痛み」と「歩ける生活」を天秤 にかけると断然歩ける生活が良い訳で、心は次第に「手術=入院」と傾くようになりました。

入院の時期は家族と話し合って、下の娘の卒業式を見届けてからということで、3月末とし、入院までの3ヶ月の間に、先生からアドバイスを受けた「更生医療給付」の手続きに取り掛かり、入院の準備に入りました。
入院の準備に欠かせないのが、自己血採取で、最近の手術では輸血はしないそうで、弐回に分けて800CCの保存をしておくそうです。1回目は外来での採 血で、この時増血剤を処方されたけれど、嘔吐するなど体調が急変し、以後、この薬を見ることはありませんでした。

こうして入院の準備も着々と進み、入院当日を迎えることとなりました。
入院の予定期間は90日(手術後、11週間)で、入院後1週間、手術までの段取り?期間がありました。股関節の手術だから1週間必要なのか?この間は体調管理が大切!
入院初日は、二回目の採血の他、心電図、MRIとメニューをこなし、あとは手術までひたすら退屈な日々の連続です。
只、内科と違って整形だからか、食事制限があるわけではないので、食べ物は自由で、消灯が過ぎてもTVは観れるので、割と自由に過ごせます。ちなみに携帯電話やパソコンも使えるので必携ですよ。

そうこうして手術の当日。手術は午後1時半からで、約2時間の予定。病室を午後12時45分に出るので、朝から何やらと忙しく、宿便を出すのに浣腸もされた。
手術や手術後の不安が全くなかったわけじゃないけど、手術は全身麻酔と局部麻酔の併用で行われるようで、寝てる間に終わってしまうわけで、後はすべてを先生に託して眠りに入りました。
手術も予定通り終わり、回復室へ向かうのですが、なぜか局部麻酔の効きが悪く激痛!ノタウチまわる中、看護師さんは手馴れた対応で、いつしかまた眠りの 世界へ突入。不安と緊張の連続だった「手術」も無事終わり、あとは一日も早く回復することを願うのみとなりました。

手術後2週間は安静で、その内3日間は回復室でベッドに拘束され、腰痛にも悩まされるが、手術個所は不思議と痛まなかった。
びっくりしたのは、手術した次の日から、ベッドで食事をとれることで、なんで?って感じでした。
このあと病室へ戻り、本格的にリハビリが始まるまでが退屈で、そのうちトイレに行ったり、廊下をコソコソ出歩いたりして、看護師さんに「動きすぎです!」って患者の心得を聞かされてしまいました(笑)

リハビリは1週間ごとにメニューが増えて、松葉杖での歩行では2週間ごとに、レントゲンで確認しながら、非荷重→3分の1荷重→2分の1荷重→全荷重と手術した足に、徐々に荷重をかけて、股関節を馴らしていくようです。
リハビリに関しては順調な方でしたが、3分の1荷重に入ってから筋肉痛に見舞われ、むしろ筋肉痛との闘いでもありました。
3分の1荷重に入って1週間も過ぎた頃、5月の連休にも掛かっていて、予期せぬ一時帰宅が許可され、1ヵ月半ぶりの我が家で、美酒に浸っていました。

楽しい時って瞬く間に(入院生活が苦痛なのではないけど (^_^;)過ぎるもので、再び病院へ戻り、リハビリ再開。
2分の1荷重入ってからは、時々外出許可ももらって、外に出ることで刺激を受けてリハビリにも一層熱が入りました。
然しながら極度の筋肉痛に見舞われ、リハビリも様子を見ながら進めていくのですが、徐々にではあっても、自力歩行が出来つつある喜びに勝るものはないですね。
2分の1荷重も1週を過ぎた辺りから、片松葉杖での歩行も可能となり、ひとり、ふたりと退院していく人を見送る傍ら、黙々とリハビリに励んでいました(笑)

ようやく、手術後8週目を迎え、全荷重による歩行が始まりました。
全荷重をかけた瞬間は、2分の1とは違ってずしりとくるものがあり、恐る恐る一歩を踏み出したときは感激しました。そのあと、階段も試してみて、ゆっくりではあるけれど、特に痛みもなく、無事クリア。
歩けることの喜びに浸りつつ、退院が近いことも悟る瞬間でもありました。

2ヶ月近くの入院生活で、すっかり体力も落ちてるので、歩き疲れが出てくると痛みも出たり、体が左右に振れてくるので、杖はまだまだ手放せないかな?
横揺れ対策には、リハビリでは足の横上げが効果を発揮するようで、今までにも増して励まないと・・・・・!
あれ程右足への負担も心配していたのですが、特に問題もなく順調に回復へと向かっています。

退院は自己診断によるところが大きく、自信がつけばいつでも退院してもいいそうで、先輩達は、手術後10週を目途に退院していっているようです。
長かった入院生活も終わりを迎え、この場を借りてお世話になった院長先生をはじめ、看護師さん、リハビリの先生及びレントゲンの先生に御礼申し上げます。
大変お世話になりました。
特に看護師さんは可愛くて素敵な人達だったので、長い入院生活が苦もなく不安も無く楽しく過ごせたのだと思います。
その反面、看護師さんたちの苦労は、一方ならぬものがあったことと思います。
まもなく退院します。

皆さん、本当に有難うございました。最後になりますが、20代、30代で手術を勧められ、それを回避しようと湿布や痛み止めを服用されている方、痛みの 間隔が短くなってきている方、早めに手術を決断された方がよいと思います。筋肉と体力が衰え始める前の方が、回復力が明らかに違いますから。

「車椅子を覚悟して」

宮崎 喜美栄さん

 

昭和46年5月20日、大学病院にて、私が右足にアメリカ製の人工股関節を入れる手術を受けたのは、32年前の40歳の時でした。その時は症 例がまだ2人しかいなく、私は3人目でした。症例が少ない上に個人差があるので、5年もつか10年又は15年もつかはわからないと言われました。それが、 55歳の頃から痛み出し、1年に2回くらい歩けなくなることがありましたので、6~7件の病院にて診ていただいたのですが、「まだ大丈夫、まだもちま す」、とか「術後の後遺症のため」とか、レントゲン写真を見ながら「今、入ってる、この人工股関節を取るのが大変で、~~手術も大変です」などと言われま したので私は諦めてしまいました。やはり、同じ足に2度の手術は難しいのだと思い、家族が心配して病院に行くように幾度も私に勧めるのですが、、痛いのを 我慢して、病院には行かず、痛くなると温泉に行き、家事を一切せずに体を休めていました。

しかし、とうとう歩けなくなる日がやってきました。平成15年4月18日(金)に右足股関節がだるく、ぬけるような、イヤーナ痛みが大腿部と下肢を交互に走り、寝ていても椅子にかけていても身の置き場のないような激しい痛みに襲われ、寝返りもできなくなりました。

第一回目の人工股関節を入れる前の痛みとは異質なものなので、何か股関節に異変が起きていると感じました。(最初の股関節を入れる前の痛みは、黙ってい ても涙が出るような痛みで、夜、唯一眠れるのは、うつ伏せの状態だけで、仰向け、右、左の横向きでは股関節が病めて眠られませんでした。ストッキングもも ちろんひとりでは履けませんでした。それで昭和46年に人工股関節を入れていただいたのですが、それから15年後位からは歩くと痛み出し、今年の4月の中 頃からは、前に記した通りの病状になりました。)それで崩れるような格好で温泉の湯治先より「あすなろ整形外科病院」へ直行しました。

医療関係のコンピューターソフトの仕事をしている息子が以前から、「あすなろ整形外科病院」を薦めてくれていたために迷わず行くことができました。

しかし、私は今までに左足の手術、右足には人工股関節をいれ、また、他の病気で二度の開腹手術をしているために、歩くために必要な大事な筋肉を切っている上に高齢ですので、今度手術するなら車椅子の生活になることを覚悟して診察室へ入りました。

少し待ってから50歳前後の経験豊富のような眼鏡をかけた先生が入ってこられました。私が32年前に一度人工股関節を入れたことをお伝えしますと先生は 「32年前はまだ私は医者になっていなかった!」とレントゲン写真を見ながら優しくおっしゃいました。私は坐骨のところの筋肉も痛かったので、骨か筋肉の どちらが痛いのかよくわかりませんでした。先生は「このモヤモヤしているのは、セメントがゆるんでいるのです。」と言われました。32年前の手術のときに 「セメントがゆるんだら痛くて歩けなくなります。」と言われていましたので、矢張り手術は避けられないのだと観念しました。レントゲン写真を見ながら私は 「これを全部取ってしまうのですか?」とお聞きしますと、先生は「すっぽり取って、新しいのを入れます。セメントがゆるんでいるので、筋肉が痛いのではな く、これは骨からきているのです。私は97.7%自信があります。杖を使わずに歩けるようにがんばりましょう。まだ72歳ですよ。」と言われ、前途に大変 な明るさと勇気を頂きました。私は4年前に転倒して右膝関節にヒビが入り、内出血をして以来、杖を使用するようになりました。先生が「左足で立ってごらん なさい。」とおっしゃったので、左足だけで立ちますと先生は「宮崎さんが今、左足で立っているように右足でも立って、杖を使わずに歩けるように挑戦しま しょう。」・・・・今まで、どこの病院に行っても聞いたことのない心強さと暖かさを感じました。そして、素人の何もわからない私の質問に対し、分かりやす く明解にお答えくださり、不安を払拭してくださって、とても安心感と信頼できる先生に思えましたので、帰りの車の中で、長谷川先生にこの手術をお願いしよ うと心に決めました。すでに入っている人工股関節を取り除き、新しいものを入れる手術には神経や筋肉を切るので、どんなに難しい手術か私たち患者には想像 もつきませんし、回復することがとても不思議に思えました。不可能ではないかとさえ私には思えたのです。その上、私のような体の悪条件の中での手術なの で、もし運悪く車椅子の生活になった場合でも決して後悔はしないと心に決めました。以前に「今度手術をするときは車椅子になるかもしれないね。」と主人と 話していましたので、その旨を先生にお伝えしますと先生は「その覚悟なら何でもできます」とおっしゃいました。

4月21日(月)、週があけ、すぐ長谷川先生のところに再びお伺いして私の気持ちをお伝えしました。入院は5月23日と決まりました。それまでは、病院 よりの痛み止め薬を服用して家ではあまり動かないようにしていました。その間、手術日迄がとても待ち遠しく、しかし、私と同じ骨の病気で多くの人が待って いるのだと思うと致しかたのないことだと思いました。5月23日に入院して、その日から即、担当の看護師さんから術後の体、足の動かし方、また、リハビリ の先生からは実際に車椅子に乗り、先生が押してくださり、どのようにしたら狭いトイレの入り口から入りやすいか、また、松葉杖の使用の段階に入った時の松 葉杖の使い方などを親切丁寧に優しく教えてくださいました。自分で実際に車椅子に乗って動かしてみると建物の角にぶかりそうになったり、松葉杖と自分の足 との調子が合わなかったり、自分の体とはいえなかなか思うようにいきませんでした。次に骨密度を調べた結果、70歳からは280mg/cnlからが合格点 ですが、私の骨密度は198しかなく不合格でした。血液検査、手術時に必要な800ccの中の第二回目の血液の400ccの採血、そして化膿止めの液体が 体内に入った時の反応等の検査がありました。手術日までの1週間はリハビリテーションルームにて術後のための体の動かし方や術後の足でのベッドへの上がり 方、降り方などを事細かく、術後に困らぬように、担当のナースの方が教えてくださいました。

とうとう待ちに待った手術の日がやってきました。5月29日の木曜日です。私には何の不安もありませんでした。今までの長い間の痛みが取れると思うだけ で充分でした。手術が終わり、回復室に戻りました。どのくらい時間がたったのでしょうか?時計を持っていなかったために時間はわかりませんでしたので、主 人に時間を聞きますと「7時一寸前」と言いました。多分麻酔が醒めたのでしょう。私は泣いていました。いくらこらえても涙が出て止まりません。声を出せな いので口を開いて、声の出ないようにして泣きました。時々唇をかんでいました。ナースの方が「痛くて泣いているの?」と言いながら涙を拭いてくださいまし た。「いいえ。痛いのは手術をしたのだから当たり前だけれど、嬉しくて、嬉しくて。」と言いながら「嬉しい、嬉しい・・・・・」と何回この言葉を言ったか 覚えていません。痛みから解放されたと思うと本当に嬉しかったのです。その時私は思いました。長谷川先生は「神の手」を持っておられるのだと思いました。 私たち患者からは、そうとしか考えられません。どのくらい、多くの骨の病気の人々をお救いになったのかと心から感謝致しました。担当のナースの方の2時間 置きくらいの手厚いお世話で、その夜を無事に過ごすことができました。回復室では毎日交代で看護師さんが体の隅々まで丁寧に温かいタオルでしっかり拭いて くださり、本当にさっぱりして気持ちよく、もったいないような気さえしました。私にとって最もつらい3日間が無事に過ぎ、4日目の6月2日はとても良いお 天気でしたので、主人が「外に出てみようか?」と言うので、主人に車椅子を押してもらい、術後初めて病院の外に出てみました。途端、思わず、「万歳!万 歳!」と両手をいっぱい上げて叫んでしまいました。太陽の光を燦燦と受けながら、痛みのない骨に生まれ変わった足に感謝しながら、そしてまた、好きな音楽 ができる、通える、と思うと何とも言えない喜びと勇気がわいてきて頭の中は、もう色々のメロディーが駆け巡り、先が明るくなり、心から長谷川先生に感謝い たしました。手術後1週間でリハビリを受けましたが、長谷川先生が手術前に「32年前とは違い、今は楽ですよ。」と言われたとおり、私にとって今のリハビ リはとても楽なものでした。リハビリも2週間位から楽しくさえなってきました。足、体の動きが段々楽に動くようになり、一日一日良くなり、回復していくの が自分でもわかるようでした。今までできなかった動作ができるようになり、希望がわいてきました。リハビリテーションルームも明るく、先生方も本当に親切 で明るく丁寧に患者に接してくださり、雰囲気がとてもやわらかく、穏やかでした。8日目よりシャワーに入りましたが、お世話してくださる方たちの至れり尽 くせりの、そして細心の注意を配ってくださるのには、頭が下がる思いでした。本当に良い病院に入って良かったとつくづく思いました。ナースの方々のお一人 お一人が自信を持って優しく、そして笑顔で一人一人の病状の違う患者に対し、的確なアドバイス、または注意をしてくださるのにも感心し、また、病室にて自 分でリハビリをしているときに、それを見て間違った動作や足に対して危険のようなことをしているとキチンとした指導をしてくださるので、ナースの方々の言 う事を聞いていると間違いないという安心感がありました。洗面所にいくと、人々のお話が耳に入り「この病院に入る時は痛くて痛くて、私は肩をこんなに下げ て、やっと歩いてきたんですよ。」と言っておられた方がニコニコして「明日退院なんです。」と言ってスタスタと楽に歩いて病室に戻られる姿をみて「本当に 良かった、私もきっと歩けるようになる。」と確信しながら車椅子で病室に戻る事が何回もありました。また、私より遅く入院された方で、痛い、痛いと大きな 声を出しながら入って来た方が、手術後何日かしてニコニコしながら家族の方に連れられて退院する姿をみて、私の足は2回目なので時間がかかるかもしれない けれど、焦らずしっかり治そう、そして笑顔で退院できるように頑張ろうと思いました。リハビリも順調に進み、8月15日か16日の退院と決まりました。古 いことですが、第2次世界大戦は昭和20年8月15日に終わったので、私は私自身の骨との闘いにもピリオドを打つ意味で8月15日に退院する事に決めまし た。58年前の終戦の日は天気が良く暑い日でしたが、私の退院の日も有り難い事に晴天でとてもよい夏の日でした。足も治していただき、その上、院長先生を はじめ、スタッフの方々から人間として生きていく上に必要な心の栄養までいただき、心より感謝しながら、病院を後にしました。車椅子の生活になるかもしれ ない事を覚悟して入院したはずでしたが、車椅子ではなく、ゆっくり歩いて心も軽く、主人の車まで足を運ぶ事ができました。お世話になった病院の方々、毎日 洗濯済のものを届けてくれた主人、いざと言うときのために病院を選んでおいてくれた息子、家族、本当にありがたく、温かい心に対し、神に深く感謝いたしま した。そして、幸福を感じました。

入院中に担当のナースの方から退院後に普通の生活に戻った時の注意事項として、パンフレットを読みながらゆっくり説明してくださいましたが、患者の退院 後の体の事までの心配りには本当に感謝いたし、これは自分のために必ず守ろうと心に誓いました。退院後も家で、病院と同じリハビリを自分で行っています が、入院前には、お通じが3~4日置きでしたが、今は毎日か1日置きにありますので、足のためばかりでなく、腸のためにも良いと思うので、これからも続け ようと思っています。

退院後の翌月、9月11日には好きな温泉に一人でゆっくり注意しながらおそるおそる入ってみましたが、なにごともなく湯煙の中でゆっくりと温泉を満喫し ました。小さな野天風呂や大きな浴槽にも入る事ができ、まずは自信もつき、ひと安心しました。入院中に担当の看護師さんが病院のお風呂の浴槽の中で私が実 際に入り、丁寧に納得のいくまで入り方を教えてくださいましたが、それを思い出しながら、足の入り方、上がり方に注意しながら無事に初日の温泉入りは大成 功の中に終わりました。家では炊事、洗濯、掃除など家事一切を滞りなく行っていますが、重いものは持たないようにしていますので、買い物は今のところ主人 と行くか、主人に担当してもらっています。また、高いところにある物や床にある物などはマジックハンドを使用し、決して無理をしないようにしています。足 は全然痛くないので夢のような毎日です。家の中では杖を使用してはいませんが、外を歩くときだけは、術後の足を保護するために使用しています。訓練をする と杖に頼らなくとも、もちろん歩けるとは思いますが、加齢とともに筋肉の衰えもありますので、転倒を避けるために安全な方法をとっています。退院後の3ヶ 月目に入った11月ころからは、あまりマジックハンドを使わなくとも大丈夫になってきました。病院からいただいたパンフレットにあるように手術した足を ちょっとずらしたり、後ろに足を上げたりすると容易に床に落ちている小さな物までも指で拾うことができます。

退院3ヵ月後の11月15日現在、家での体の動かし方は以前の家庭と仕事を持っていた時のようなサッサと体を動かす事のできる状態に戻ってきたような気 がします。これから北海道の厳しい寒さがやってきますので、傷口を冷やさぬようにして、雪のある間はあまり外を歩かないようにします。車で外には出かける ことがありますが、自分の足は大切にして、ご機嫌を伺いながら付き合っていこうと思っています。私が今、一番恐れていることは転倒する事なので家の中でも 大変注意をしています。家でのリハビリは続けていますので体調は良好です。痛みの無いことのおかげで何の不安もありません。これは入院した日より手術、退 院、退院後6ヶ月間の日常生活状況を記したものです。

「無題」

武田 恭子さん

私は、先天性股関節脱臼で生まれ、40代後半、人工関節の手術を受け、16年後、仕事の区切りを期に再手術を長谷川先生にしていただきました。

長谷川先生との出会いは、前回手術をしていただいた先生から、股関節の手術に関して、今一番信頼している先生をと、紹介していただきました。受診してみ て、先生のさわやかさの中に人を幸せにする信念を強く感じました。そして、安心して手術を受ける事ができました。婦長さんはじめ、看護婦さん、スタッフの お一人お一人が、それはそれは親身になってかかわって下さいました。

こちらの病院の医療システムのすばらしさを感じます。第一に、患者の一人一人に担当の看護婦さんが決まっていて、看護婦さん間の連絡が細かに行き届いて いることです。担当外の看護婦さんも一人一人の状態をよく判っていて、事柄がスムーズに運んでいることです。手術後のリハビリについてもリハビリ科の先生 方と、これもまた連絡がよく行き届いており、病棟でも看護婦さんの指導とチェックが入ります。ベットの上だったり、廊下の歩行練習も、リハビリ科の先生方 のメニューに従って行われます。

第二に、入院生活は家族とはなれて、それはそれは孤独な日々が続きます。地方からいらしている方も大勢いらっしゃいます。そんな中、クリスマス会に、長 谷川先生がサンタクロースになって、スタッフ一同、トナカイや子供たちになって、病室にプレゼントを一人一人にわたしてくださるといった場面があり、夏は 夏祭りがあるとお聞きしていますが、なごやかで、あたたかで、お心を感じます。

第三に術後の回復には、食事が大切ですが、味のしっかりした食事でした。月に一回のスペシャルメニューも楽しみのひとつでした。和食が多く、特に煮物は素材の味を生かしながら、病人食にありがちな味気ないものとは違い、いつも感謝しながらいただいていました。

第四に生活の中で携帯電話の使用が可能だったこと、また消灯後、テレビは11時まで見ることが許されていたことなど、入院生活が、日常的に家庭生活に近い状態で過ごすことができたことも、ありがたく思いました。

皆さんがいてくださったおかげで、6ヶ月と少しの入院を終え、退院して4ヶ月が過ぎますが、この間一度もトラブルが起きずに通常の生活に戻りつつあります。

これから手術をされる方、どうぞ、長谷川先生にお会いして、とことん相談なさってみてはいかがでしょう。助けてくださる先生はじめ、スタッフの方々がい らっしゃるのですから、術後の回復は、自分の人生のために前向きで受け止め、何事もプラスに考えて、幸せを目指してまいりましょう。

「立てた!痛くない!歩ける!長谷川マジックの驚異?」

西谷 洋利さん

―我が母、がんとの闘いの中で、人工股間節(人工骨頭)置換手術を受けて―

「私もああいうふうに歩けるようになるのだろうか。」
「自分の足で歩いて、せめてトイレに行けるようになりたい。」
ひときわ暑かったこの夏、8月の初旬、ベッドの上で額に汗をにじませながら、カーテン越しに杖をついて歩く患者さんを見て、つぶやく母の声には切実なものがありました。

「大丈夫だよ。きっと歩けるようになるから。」と励ますのが、精一杯の私どもがやってあげられる唯一のことでありました。
2月にがんにより左腎臓の全摘出手術を受け、その後左腸骨に、そして左肋骨にがんが転移して放射線照射治療を受けに恵佑会病院に入院したその日に、急に 歩けなくなりました。7月の26日です。翌27日恵佑会病院に長谷川先生がおいでくださり、28日あすなろ整形外科でレントゲンを撮っていただいたのを診 て、「このままでは黙っておいても痛くなってきます。歩けなくなります。人工の骨頭をいれましょう。」との有無を言わせぬ即断に、「はい、お願いしま す。」と母も即答でした。
これまでに、白内障、胆のう、左大腿骨骨折で金属を入れる手術を、さらには今年に入って腎臓の手術をしたばっかりですから、私どもは「無理に痛い思いをもうしなくてもいいのでは・・・」と申しました。手術をするという痛い思いをさせるのはかわいそうだと思ったのです。

でも、母の答えは「手術をしていただく。歩けるようになりたい。」でした。O型の女性で、度胸のある私たちの肝っ玉母さんでありますから、一度決めたら 後には引きません。とはいえ、今年齢84歳を迎える超高齢者でありますから、あとは長谷川先生にお任せをして、母の願いがかなうことを祈るばかりでありま した。

妹と二人で、毎日夕方食事の時間に間に合うように通いました。母も闘いですが、私どもにとっても闘いです。
やかましいと思われるくらい通いましたから、多くの入院しておられる患者さんと知り合いになり、お話を伺いました。皆さん、本当に手術をされてから3日 目くらいから車椅子で動かれ、1週間ぐらいたつと杖で歩いておられるのです。皆さんそれぞれ施術の部分や状態に差異はあるでしょうが、歩いておられるのは 確かでありました。

母は、これまでの大病でも良い病院、良い先生にめぐり合え、術後も順調で今日まで来ております。今回もきっと成功してくれるとは信じながらも、しばらく は「痛い!痛い!」と言いはしまいか、もう片方の頼みの左足もままならない状況でありますから、片足立ちもできず、車椅子を使っての行動も厳しいのでは と、不安を母自身も私どもも抱えておりました。婦長さんをはじめ、来てくださる看護師さんに、他流試合の武芸者が相手方に手加減を請うように、何度も何度 もお手柔らかに扱っていただけるようにお願いをいたしました。無理に左足を使って、元も子もなくなっては取り返しがつきませんでしたから。

でも、さすが先生はじめ、看護師さん方皆さんプロです。素人の私たちの心配をよそに、車椅子を使えるように懇切にご指導くださり、次の段階では、歩行器 を使わせてくださり、これで両足で立てるようになり、母も自信がつきほどなく歩けるようになりました。手術後1週間から10日くらいのことです。まさし く、長谷川マジックを見ているようでありました。

歩けなくなって、恵佑会病院から数えてあすなろ整形外科に転院してから3週間くらい尿の管を入れたままの不自由な生活も、抜糸がすみ、シャワーを使わせていただいた日に解消され、少しずつ元気を取り戻してきました。
ほかの入院患者さんも、超高齢でがんとの闘いを続ける母に励ましの言葉をかけてくださり、感謝しております。ややもすると、つい手を差し伸べてしまう私 どもでありますが、自分の身の回りのことをできるように自立を促してくださったスタッフの皆さんのご助力、ご指導等々にもお礼申し上げます。

また、同室となりました菅原ひとみさんという素敵な方とお会いできたのも幸せでした。以前入れられた人工骨頭の交換手術で入院という、苦痛と闘いながら も前向きに明るく生きておられる方で、お話をしていくうちに私どもとご縁があった方でしたが、動けない母に何かとお助け、お世話していただき、ただただ感 謝申し上げる次第でありました。

そもそもは、長谷川先生と出会えたことに始まり、長谷川マジックがかくも見事に母をよみがえらせてくださったのです。マジックなぞとはとんでもありません。長谷川先生の確固たる信念と、技術、豊富なこれまでの経験に基づく‘成せる技’なのであります。

「息子さん、見て見て、ほら歩けるようになったよ!」看護師の馬場さんが私に声をかけてくださったあの時の情景は、感涙ものです。手術後の痛みもほとんどなく、自分の両足でしっかりと床を踏みしめ、歩き出すことができた母に、思わず拍手、万歳でした。

股間節の痛みで苦しんでおられる方は多いそうです。手術と聞くだけで「ああ、痛い思いをしなければならないのだな」と、私どもは思います。患者さんの気 持になれば動揺もされるでしょう。しかし、今回の母の経験から、人工股間節置換術を受けられて、痛みなく歩けるようになるということを実感してみるのも、 大きな選択肢の一つだと思います。

先生初め、スタッフの方々の優しく、力強い対応は、ややもするとめげる患者を励まし、回復に導いてくださいます。休診日、休日を問わず時間を割いて回診 に来られ励ましてくださる長谷川院長、ミーティングを繰り返してここの患者さんにとって最良の対処をしてくださるスタッフの皆さん方、頼もしい限りであり ました。股間節の痛みで悩んでおられる方、苦しんでおられる方、迷っておられる方、「あすなろ整形外科」の門をたたいて、ご自身で確かめられてはいかがで しょうか。
「あすなろ(翌檜)=明日はヒノキになろうの意」と、院内の壁に掲げられています。その精神、信条を病院スタッフ一同の方々が持ち続けておられるうちは、多くの患者さんに感謝され、語り継がれて、あすなろの年輪を限りなくヒノキに近づけていくことができるでありましょう。

私どもの母にお寄せいただいたご厚情に感謝申し上げ、スタッフの皆さんのご健勝と、あすなろの弥栄をご祈念申し上げます。本当にありがとうございました。