あすなろ文集

「あすなろの花火大会」

清水 裕子さん

おかしいなと思いはじめたのは、足が前にスムーズに出ていかなかったり、走ることができなくなってきた時でした。運動不足かなと思いながら、あまり気にせず、そのうち、治るだろうと、軽く考えていました。
でも、なかなか良くならず、病院へ行って診てもらうとびっくり、病院の入院生活といいますと、一般にはどんなイメージが浮かぶのでしょうか。まず「手術への恐怖」そして「痛みとの戦い」、「漠然とした入院生活の不安」「留守家族の心配と遠慮」それに「入院費用」といったマイナス思考が次々に出てくるのが普通です。
実は私、これまでに「両股関節」の手術を4回も経験しております。何回経験しましても、いざ入院となりますと、やはり精神的に不安定となり、その日が近 づくにつれて溜息や眠れない日が多くなります。これは私一人に限ったことではないようです。事実、多くの同病の患者さんからもそうした悩みを伺ってきまし た。

私は悩みは不安は誰にでもあることで、私一人悩んでいるのではない、と前向きに考えるようになっていました。
私は現在67歳ですが、40代の後半に、運動中、腰の部分に激痛が走り異常に気がつきました。しかし、そのうちに自然に治るだろうと深く考えないようにしておりました。
その後、夫の転勤で大阪に住むようになったある日、耐えられない激しい痛みに襲われました。すぐに大阪大学付属病院に行き診察を受けましたところ「両股 関節脱臼」と診断されました。そして、手術が必要で年齢的に我慢できるところまで、もっていくようにとのアドバイスがありました。

実際、激痛は増えても少なくなることはありませんでした。再び夫の転勤で東京に移転。
今度は順天堂大学付属病院で診察を受け、痛みの限界もありまして、50歳の折に第一回の手術(左側股関節)、第二回51歳(右側)、第三回58歳(右側)と、いずれも「三層カップ形成術」と「人工再置換術」を順天堂の整形外科で受けました。

やがて札幌に定住するようになった60歳代前半になって左側の股関節に痛みを感ずるようになり、痛み止めを服用する日が多くなって歩行もいよいよ困難になってきました。
私は必死になって情報を集めはじめました。「のぞみ会」の会報はもちろんのこと、お友達やインターネット情報など、可能な限り集めました。もちろん、札幌の病院を中心にして、第四回の手術をしようと心に決めていました。

結局大事なことは「最後は自分で決断する以外に道はない」という当たり前の結論でした。そうと決めたら、気持ちもすっきりしたある日、私は夫と共に「あ すなろ整形外科病院」を訪ねました。私は第一印象を大切にするのですが、病院の雰囲気、長谷川院長先生の信頼できるお人柄、すべて意にかなったものでし た。

長谷川先生は「X線写真」、「骨量の密度」、「可動域」、「歩行の状態」などの測定をもとに、私の病状の現状について説明された後、手術の方法、入院日数、術後の状態など明快にそのスケジュールを話されました。
私も前もって、私の病歴や先生にお聞きしたかった要点をまとめて「メモ」にし、持参していましたので、先生とのお話し合いも要領よく進んだように思っています。
先生はスポーツマンタイプで日焼けした快活な第一印象。テキパキと経験豊かな外科医らしい明快さでしかも自信に満ち溢れたお話に私は信頼感いっぱいとなりました。

後日、再び先生にお目にかかり、手術日が決定しました。入院されている方々からも、大学病院と違って執刀される先生が長谷川先生であり、すべてに目が行 き届き、また毎朝、毎日のように必ず「どうですか」と、回診があると伺って、より安心感を深くいたしました。「プラス思考」は私に勇気と前向きのスピリッ トを与えてくれました。
大切なことは、やはり自分自身の心の持ち方ひとつだと思います。

「大丈夫だろうか」・・・「大丈夫」
「成功するだろうか」・・・「必ず成功する」

さて、私の手術も無事に成功しました。過去3回に比べても気分的に私は幸せでした。
わずかな日数の車椅子から降りて、歩行のためのリハビリが始まった夏のある日、廊下に張られた一枚の「お知らせ」に目が止まりました。
それには、「明日の夜、病院前の広場で花火大会を開きます。ぜひ参加して下さい。」
入院患者は大喜びでした。前もって飲み物の注文も受けました。私はビールをお願いしました。リハビリの訓練で予想以上に回復が早かった私は特別だったの でしょうか、幸いにもお許しが出ました。ラッキーなことにその日は朝から快晴でした。たそがれ始めた「あすなろ病院」の庭にテーブル、椅子がセットされ、 焼き鳥、ビール、ジュース、スイカとかいろいろなご馳走が給食室の人たちでスタンバイされました。

私たちも車椅子や松葉杖をついてニコニコ顔で集まりました。長谷川先生も浴衣姿に首からカメラをぶらさげてパチリパチリとスナップを撮って下さいました。
婦長さんも看護婦さんも、浴衣姿で可愛いお嬢さんに変身されていました。花火はリハビリの先生、レントゲンの先生達の手で打ち上げられて、みんな子供の ように大喜びでした。もちろん大きな花火大会とは違って、本当に家庭的な「花火の夕」でしたが、その楽しさうれしさは「大きな花火大会」に負けないほど、 心ゆたかなビッグイベントでした。

退院してすでに久しい私ですが、先生の撮って下さったその折の「写真」を時折、眺めて微笑んでいます。私はいま、おかげさまで歩行も楽になり、お世辞 で、正常な人と区別がつかないなどと言われて、ついその気になるほど順調です。有難いと思っています。これからも自分自身で日常の「リハビリ」を忘れずに 実行しなければと思っています。
待合室に張られた「あすなろ精神」と、心に花開かせていただいたあの「花火大会」の暖かいお気持ちに報いることになると私は考えているからです。このままだと、だんだん歩けなくなる、手術をしなければ治らないといわれ、ショックでした。
でも、確実に歩けるようになるという先生の言葉と、自分の足で歩きたいという気持ちが、手術することを決心させました。

おかげさまで、バスの乗り降りも心配なく、どこへでも出かけていくことができるようになりました。自分の足で歩けるということは、とても幸せなことだと、 改めて実感しました。手術をしてくださった先生や、お世話をしてくださった看護婦さん、励ましてくださったリハビリの先生にも、本当に感謝しています。

今は、手術をして良かったと思っています。

「無題」

T・Mさん

おかしいなと思いはじめたのは、足が前にスムーズに出ていかなかったり、走ることができなくなってきた時でした。運動不足かなと思いながら、あまり気にせず、そのうち、治るだろうと、軽く考えていました。

でも、なかなか良くならず、病院へ行って診てもらうとびっくり、このままだと、だんだん歩けなくなる、手術をしなければ治らないといわれ、ショックでした。

でも、確実に歩けるようになるという先生の言葉と、自分の足で歩きたいという気持ちが、手術することを決心させました。

おかげさまで、バスの乗り降りも心配なく、どこへでも出かけていくことができるようになりました。自分の足で歩けるということは、とても幸せなことだと、 改めて実感しました。手術をしてくださった先生や、お世話をしてくださった看護婦さん、励ましてくださったリハビリの先生にも、本当に感謝しています。

今は、手術をして良かったと思っています。

「股関節の手術をして」

M・Tさん

私は平成10年に他の病院で、両足の股関節の棚形成術をしました。片方の足だけ痛みが続き、歩くのも辛くていたところ知人の勧めで平成12年 11月27日あすなろ整形に行き診察を受けました。レントゲンの結果は、やはり大分悪くなっていて、「手術をして人工にするしかないですね」と言われまし た。いつまでも家族や親に心配もかけられないし、痛くて辛いのも自分なので、「お願いします」と言って12月21日に手術日も決めて帰って来ました。それ からは入院の日までは、あっという間に過ぎて行った気がします。

12月15日が入院する日で病室の空きがなく数日間、回復室にいる事になりました。その日に股関節の人工の手術の人がいて、他人事ではなく心配でしたが、 翌日には少し話をしたり顔を見る事もできて安心しました。病室に替わって部屋の人たちも明るく、1人は人工で、2人は自骨で手術をした人たちで、「大丈 夫、手術をしたら良くなるから」と言ってくれました。12月21日に無事手術を終えて回復室に戻り、次に膝を手術する人が終えて、その夜は私は嘔吐と痛み が、もう1人は痛みと熱でナースコールばかりでした。しまいにはお互いに「大丈夫?」と言いあったほどで、看護婦さんも大変だったのを覚えています。あり がとうございました。

術後、3~4週間を過ぎると血や尿の管が取れて1日ごとに楽になりました。人工の場合は術後1週間目からリハビリが始まり、先生方も熱心に指導してくれた ので頑張ってやっていました。12月25日はクリスマスの日でサンタさんがみんなにプレゼントを持ってきて、ビックリしました。写真も撮ってもらって、い い思い出になりました。翌日、抜糸をしてシャワー室に入ることが出来ました。日がたつにつれ動きも楽になり、他の部屋の人たちとも仲良くなりロビーで話し 込むことも多くなりました。

暮れも押しせまり、外泊して自宅で年越しを迎える人が多くて、この年は私を入れて3人と看護婦さんの4人で静かな年越しになりました。年が明けてリハビ リも重りをつけたり、ゴムを使ったりとハードになり、松葉杖で何人かで病院の回りを歩いたりしました。

さらに杖のみになると正座や立ち方や座り方、お風呂の出入りなどを習うので、安心して外出や外泊も出来、家に帰ったり何人かでお店に行ってショッピング をしたりと楽しかった思い出の1つです。退院してからも入院中にお友達になった人たちと電話やメール、たまには時間を作って会って近況などを聞いて、お互 いに元気に頑張っている事がわかると励みになります。

入院中は色々お世話になり本当にありがとうございました。

「人工股関節の手術を受けて」

久野 美恵子さん

私は、先天性股関節脱臼で、平成十三年に手術を受け、人工股関節にしました。

幼児期、小樽の病院で治療しましたが、成人後再発すると聞いていました。30代から疲れると痛みが出るようになってきました。地元の病院では、大事にす れば将来的にも手術をしなくて済む可能性もあるといわれたのと、治療には何ヶ月もかかると聞いていたので、会社勤めをしていたこともあって我慢していまし た。手術をする2,3年前から常時針を刺すような痛みとだるさがあり、人目にもわかるほど、足を引きずるようになっていました。

痛みのない生活がしたい、歩行困難になりたくないと思いましたので、退職を機に治療する決心をしました。院長先生から、症状と年齢的に見て薬で痛みを止 める方法がある事、悪化すれば手術が必要であること、人工関節には寿命があること、手術をする場合の準備、回復後の生活、障害者手帳の申請など、詳しく説 明していただきました。私は薬よりも、人工関節を支える自分の骨が元気なうちに手術を受ける事にしました。

手術をして大変だったのは2,3日、抜糸までの1週間は不自由でしたが、その後は痛みもとれ、トイレ、入浴も一人ででき、思っていたよりもずっと気持ち よく入院生活を送ることができました。リハビリも入院中は唯一の仕事で、退院後少しでも楽なようにと、スポーツ感覚で頑張りました。

車椅子から松葉杖にかわる時は、足を着くのが怖くて、薄いガラスの上を歩くような気持ちでした。でも、それも日一日慣れてくるものです。重心のかけ方も 難しく、ずいぶん苦労しましたが、同室の仲間と廊下を歩きながら練習しました。病院は明るく清潔、先生はじめ、スタッフの方々がとてもやさしく、信頼して 治療を受けることができました。患者一人一人に担当の看護婦さんがいたので、大きな安心感がありました。とても良いことだと思います。

2年経過した今、行動の不自由さは少しあるけれど、痛みはほとんどなく、楽しく暮らしています。同室の方々より症状が軽かった分、回復も早く、「治療は早め」と実感しています。先生をはじめ、スタッフの方々、本当にありがとうございました。

「手術を終えて」

望月 美智子さん

私は、平成13年に右足の手術を受けました。毎日、動かなくても痛んで、夜もよく眠れないのですが、手術となると何かと理由をつけては決心が つきませんでした。以前の私は、仰向けになると右足が伸びず、いつも膝を立てていました。また、お尻の筋肉が落ちているため、クッションをあてなければな らず、横向きでも膝にはさむクッションが足の一部として私を助けてくれました。しかし、寝相が悪く、夜中にずれてしまい、痛みで目がさめるという毎日でし た。そのため、起き上がることもできず、這ってトイレに行っていました。もちろん、和式のトイレは使用できず、外出先では洋式のトイレを探さなければ用も 足せませんでした。足のつめを切ることも、ストッキングを履くこともできず、いつもくるぶしまでの靴下で過ごしていました。歩くとき、右足はつま先で歩く ことが強いられ、親指の爪は肉に食い込んでいました。

このように自分でもわかるほどに不恰好な歩き方では、青信号で横断歩道を渡りきることすらできず、なにより恥ずかしくて自然と私の足は車となっていました。

ある日、友人に無理やり誘われて受診したところ「即、手術。」と言われ、仕方なく手術を受けることとなりました。ところが、手術の次の日から私の驚きが始まりました。

まず、49年間絶えることのなかった足の痛みがまったく無くなったのです。そして、リハビリが進むにつれて、今まで出来なかったことが出来るようにな り、私にとっては夢のような生活へと変わっていきました。周りはもちろんのこと、自分でも信じられないほど、自然な姿勢で歩くことが出来るようになり、歩 く事に楽しさを感じられるようになりました。夜もぐっすり眠ることができ、1階にあった寝室を2階に移しても苦になりません。私は、いつも夢でしか見るこ とのなかった生活を手術をする事によって手に入れることができました。

辛い痛みの中でも決心できず苦しんでいた私でしたが、手術を終えて夢が現実となった今、私の体から痛みも苦しみも取り除いてくださった先生、そして、病院を紹介してくれた友人に感謝の気持ちでいっぱいです。